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M先生を訪問

■M先生に癒されに。テンテケも二時間ぶっ通しで遊ぶ。

二歳児保育時代のМ先生から、お家にいるんだったら、駅前の幼稚園にまた遊びにおいでよって言っていただいて。

パートのM先生の仕事が終わった昼ごろに以前通っていた二歳児保育の教室にテンテケと一緒にお邪魔してくる。もう、遊び相手に飢えているテンテケ大喜び。
保育室のおもちゃを好きなだけ使わせてもらい、積み木したりままごとしたりパズルしたり、しかも遊び相手は遊びのプロのM先生。おしっこに行くのも我慢して、二時間遊んでも、まだ帰りたがらず、トイレに無理やり連れて行き、やむなく抱えて幼稚園を後にする。


テンテケを遊ばせながら、4.5月の幼稚園とのやりとりの経過をお話しして、感染が怖くて誰もいない近所の公園で孤独に母子二人っきりで遊んでいた日々のことをお話しして、

「お母さん、それ辛い・・・ペンペコちゃんいなかったら山の手の幼稚園やめてたでしょ?」って言われる。

・・・そうかも。

たぶん、ペンペコと通えるという最大のメリットがなければ、めげて山の方の幼稚園やめてたかも。
一番の理由は多分、4.5月、引き落とされる多額のお金に見合うサービスが自己の都合で休んでいるとはいえ、結果的に殆ど受けれなかったこと。行きたくないのならともかく、当初はテンテケも私も、とても幼稚園に行きたくて仕方ないのによそ様の感染症で行けないという状態だった。せめて・・・とお願いした工作さえ、結果的に一度も自宅ですることができなかった。


しかも、三月の三者面談に来てもらった時点で全く聞いていなかったのだけれど、三人の先生のうち担任の先生を除いて、園長先生、副園長先生二人は四月の人事異動でいなくなってしまい、幼稚園のトップは総入れ替え状態に。新体制でばたついている感のある幼稚園・・・。



不思議とこの山の手の幼稚園は、風土が合わずに辞めて、近隣の公立の幼稚園やキリスト系の幼稚園に変わる子というのが、理由を聞くほど親しくなかったけれど、周りにも何人かいて。ペンペコにとっては理想的な幼稚園だったからうちは今まで感覚としてわからなかったけれど、今回なんとなく、辞めて行った子のお宅の気持ちがわかった。高い制服類を一式お下がりでなく、自分で購入してたとしたら、さぞ無念だったろう。



■入園前の書類に休園料など手続きにかかる説明がなかった幼稚園の慣習

こうなってから提示された休園料が調べた相場より高いこともかなり頭を悩ませた。近所だから、周りの子も行くしという理由で選んだのですが、実は、もともと保育料がなかなかなお値段なのです。しかも兄弟割引いっさいなし。制服類も異常に高い。(←制服類は高いのでつてを頼って卒園した家庭からお下がりをもらう事が多い)

こういう状況になって、今頃気づいたけど、休園の料金については入園前のどの書類にも記載がないので不明瞭。8月の保育料についても、同じことが言える。慣習がまかり通るというか。習い事なら、最初に契約書がありきで、こうじゃないよなぁって思う。うち、能天気に順調に通えると思っていたので、休園するつもりは毛頭なく、テンテケの入園前に確認せずに、決めていた・・・。うちにも落ち度はある。

幼稚園を休園する・・・・というのは想像してみると多いのは二つだろう。
「母親の里帰り出産」
「子供の急な入院」
あとは子供をつれて一時期、親戚や離れて暮らす父親に会いに行くというケースもあるかも。

いずれも、入園時に予測できるかというと、難しかったりすると思います。入園して、お友達関係もできて簡単にやめられなくなってから、休園料の話を後出しにするのはちょっと、どうかなぁ・・・なんて思います。普通習い事だったら契約の時点でもう少しきちんと決まっているんじゃないのかな?って思います。

今回、休園料金の相場を調べることになり検索してみると、いない間、他の園児を募集できるのに、席を確保するという意味で休園料金を払うのは当たり前みたいな意見が多いのですが、しかし一方、あっちでもこっちでもそんな質問が寄せられている。それだけ質問に挙げている人が多いということは、入園時説明がなくそういう状況に置かれて、行ってもいないのに私立幼稚園に対して多額のお金を支払う事に対して引っかかる親が多いということです。


今の幼稚園、お外を走り回り少々怪我しても大丈夫なペンペコにとっては、山や森で貴重な自然と触れ合え体をフルに使える、体育や、教育にも(入学準備程度でお勉強一辺倒ではない)熱心でとても素晴らしい幼稚園なのです。

しかし、兄弟とはいえ、体の弱いテンテケにとっては果たして適切な幼稚園だったのか・・・。秋以降のテンテケの体力の回復に望みをかけていますが・・・。幼稚園は小学校と違って選べるからまた悩ましいです。


公立の幼稚園なら、帰宅時間は早いし、送り迎えも自分で。しなければいけないことは増えるけれど、金額は桁が一つ違って〇000円と安いし、もしかしたら、頻繁に休むテンテケの場合公立幼稚園のほうが良かったのかもしれないと、感染に弱くて水疱瘡流行中の幼稚園に通うことがあまり推奨される状態でない今は思ったりする。

■幼稚園の水疱瘡は拡大中

そういえば、幼稚園の水疱瘡・・・・予測通りテンテケが休園を決めた後、倍々で感染者が増えて、保護者の間でも流行っていると噂になっている。
やはり、あの時点でテンテケを休園させる判断は正しかったのだと再認識。そしてペンペコにもかかりつけの勧めで二度目の水疱瘡の予防接種をしたおかげで少し安心して過ごせている今日この頃です。



■小児ガン患者・家族は感染症に神経のすり減らしてるんです

感染・・・目に見えないから本当に悩ましい。そして怖い。入院中は白血球が少なくてむちゃくちゃ怖かったけれど、維持療法で自宅にいる今は、入院中とは違って白血球はそこそこあるものの、病原体と接触する機会が多いから違った意味で神経が磨り減る。

この感染症に対する母親の過敏な神経というのは、子供の抗がん剤治療を経験したものでないと感覚としてわからないのかもしれない。

大人の抗がん剤治療に対しても感染症に気を付けなくてはならないことは、自分の母がガン経験者であり20代にその療養を数年間支えていたから身をもって知っている。半年以上の入院中、家族もとても気を使ってうがい手洗いをしていた。

しかし、小児、特にテンテケのような幼児の場合、大人と違い、本人がセルフケアをどこまで行えるかというと、完全には無理でしょう。で、母親や父親に感染防御の責任がのしかかってくる。維持療法では投薬も同様です。

親というものは私だけでなく、たとえば他の病気でも自分の子どもの健康状態が損なわれる状況に置かれると自分を責めてしまう傾向がある。この親への重圧。いつもピリピリと張り詰める病原体への神経。

こればかりは、経験者か想像力豊かな方でないとわからない。M先生は共感力がすごくて。いつもテンテケの来る日は床を消毒を入れた水でもっぷがけしれくれたり、ほとんど親と変わらない、いや、それ以上の感覚でまるで自分の子供を思うように感染対策を考えてくれる視点を持っていた稀有な先生です。これは、うちに対してだけでなく、発達障害があるかもと言われた子に対しても同じ。だからお世話になった母親たちはみんなM先生に救われるのです。こういう想像力豊かな先生に巡り合えたことがうちにとっては本当に救いです。
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仏教って案外ひどい

子供のがんで、落ち込むことが多々あって、以前、入院中に禅宗のお坊さんの本を読んでみて面白いな~って思いました。時々こういう死に対峙しなければならない種類の病気で、家族として苦しい状況にあると「宗教」というものの存在意義みたいなものを考えたりする。
ホスピスなんかも、キリスト教や仏教の団体が主催?するものがいくつもあります。


五年前の主人の母の葬儀は無宗教スタイルで献花が行われたので、我が家は無宗教だと思う。
主人自身も無宗教なのだが、幼、中、高とミッション系の学校出身なので、学校では必ずミサがあって、刷り込まれたカソリックの教えをふと思い出して悶々と悩む私に教えてくれたりする。教育による刷り込み恐るべし。

私としては、宗教に入るつもりは面倒だし、今のところ毛頭ないんだけれど、昔から人々の中に受け継がれてきた宗教の中には人生の苦しみと対峙する時期にちょっとしたヒントになったりする言葉や考え方のエッセンスなんかが沢山入り込んでいる。まったくど素人がいうのはあれですが、禅宗は宗教というよりも哲学のような類の物に近いような気がする。


私がここ数年、好きなのは玄侑宗久さんという方の本です。震災後は福島のお寺の住職さんなので、復興に頑張っていらっしゃるというのを何度か新聞で見たことがあります。陰ながら応援してます。
この方の本には苦しいときに助けられた。複雑でとっつきにくい、禅の考え方をど素人にかみ砕いて教えてくれるので、純粋に読み物として楽しくて気分転換にもなった。



・・・で、その延長で、最近図書館で「玄侑宗久さんの本ではない」仏教全般のさわりみたいな本を借りて読んでみたところ、仏教の世界観に関してショッキングな内容が。



親より先に死んだ子供は、仏教の教義からいうと大変罪深い。親を悲しませ、苦しみを与えたという罪により天国にも地獄にもいかず、賽の河原で石を積む作業をさせられる。塔が出来上がりそうになると、冥途からそれを鬼が壊しにやってくる。

田舎の道端で安らかな顔をしている地蔵菩薩というのは、その子供達を鬼から守るため、鬼を叱りいさめる役割があるのだとか。なので、地蔵は子供の守り神なんだそうです。





・・・・なんじゃそりゃ?親より早く死ぬことが果たして本当に罪なのかと小児がん患者の子供を持つ私は怒りすら覚えたのです。そんな話聞かされて、残された親は、現世で他の同年代の元気な子どもより既に十分苦しんだのに、死後も子供が苦しむなんて想像もしたくないのでは?

多分、そのお話ができたころは今みたいに医学が進んでなくて、生まれた子供が何人大人になるかわからないというシビアな時代だったのだろうと推測。今と時代背景が全然違うのだろう。
しかし、昔だって本人が望んでそうなるわけでもなかろうに。意味わかんないぞ・・・仏教。
時々苦しいとき思い出す、ためになる説話が仏教にはあったけれど、子供の死に関しては絶対に私は相入れない部分だなぁ。



テンテケやペンペコの寝顔見ながらまるでお地蔵さんみたいだな。って思うことがあるけれど、地蔵・・・そんな裏があって存在するものだったのか・・・。



訃報届く

うちと同じプロトコルの治療途中で、再発して、他県で移植していた子がいました。


亡くなったと昨日の夕方、その子のお母さんからメールが届く。

状態があまり芳しくないのはなんとなく状況報告のメールで推測していたけれど、いざ知らせをいただいて絶句・・・。「悲しい」・・いう表現は適切ではなく、まるで我が事のように衝撃があり、身に堪える。メールなのでまだ現実味がないものある。信じたくないという気持ちもある。

ましてや当事者であったらどんな心境であろう。
あまり状況が良くない中でも会えば笑顔で冗談言ったり、メールの文面は明るく、いつも前向きなお母さん。どうしているやら・・・。大きい子だったから全部理解していた。青春まっただ中。まだまだやりたいことがあっただろうに。去年から苦しい思いをたくさんしてきただけに、せめて天国では安らかに楽しく過ごしているといいなと思う。



外来治療していて何よりつらいのは同じ時期に病棟で暮らして声を掛け合っていた顔見知りの子供が再発したり亡くなったりすることです。再発を知った時も辛かった。恐らくともに病棟に暮らしていたメンバーは同じ気持ちのはず。
私にとっては亡くなったのは知ってる子で今回二人目です・・・


一人目の子は亡くなった直後にお母さんと会って会話しているだけにお母さんの言葉が目が頭から離れず。その後、一か月ほどは夜中ふと目が覚めて思い出しては涙が出てきた。


これ以上知っている子が天国に行かないように願うしかありません。
もちろんテンテケも。



退院して大分たって、あわただしい日常生活に追われてしまい、最近、意識が薄くなっていたけれど、今、できることは自宅での家族の時間を大切にしていくしかないんだと改めて思った。


Xデー

今日は再発した闘病仲間の骨髄移植日です。同じプロトコルで治療をしてました。

再発を聞いたとき身を裂かれるような思いでした。

クリーンルームから出られるまで、なにもかもうまくいきますように。



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力になった言葉

やっぱり子供の死につながる病気は辛いです。楽しいことがあっても辛さが常にベースにあります。
そんな折々にいただいた力になった言葉。


<発病発覚時に力になった言葉>

■一歳の無邪気に遊ぶテンテケと目を合わせて「大きくなるよね。」
担当医I先生の入院1クール目の言葉。
突然命に関わる大病で、回復を信じることが気持ちが混乱して難しかった時期に、訪室した担当医に「大きくなるのかしら・・・」とぼやいたら、テンテケの顔見ながら笑顔で「大きくなるよね~」って話しかけていまました。
何を信じたらいいのか、個室に閉じこもって悶々としている時期に治療を主導している先生からのこの言葉は一番希望になりました。大丈夫かも・・・しれない・・・と思えました。
ブログの名前もこの一言からいただいています。



■「しっかりして、まだ生きてるんだよ。」
在学初年度に突然、私の母の命に関わる大病が発覚して動揺する私に言ってくれた今は亡き看護学校の教務部長(校長)先生の言葉です。テンテケの時にも思い出しました。

テンテケの時と同様に、発覚した直後は家族は混乱状態でした。いつまでもずっと元気にいてくれると思っていた人の突然の命に係わる大病をすんなり受け入れることは難しかったです。
入院初期の手術日で終了後に外科医から出血がひどく、病巣を予定したように切除できなかったと結果を聞いて、非常に落ち込んで、学校に戻って先生に話した時にこういわれました。
目からうろこでした。たとえ病気になっても人の命が終わるその瞬間までは「生」であり、大切だと思う人のためになすべきことを考えなくてはという当たり前の事実に気付かせるために言ってくれた言葉なのだと思います。現場に長年いた看護師の言葉。
この数年後、在学最後の年に先生が病床につき亡くなりました。お葬式に行かせていただきました。
大学卒業後入った看護学校では、医師、先生、学生・・よき出会いがたくさんありました。教えていただいたことにあまり報いていない自分で申し訳ない思いです。


■「お母さん、辛かったね。」
二歳児幼稚園のM先生。私の母親の世代でペンペコの二歳児保育の担任でした。幼児の先生兼、その母親のカウンセラー的な存在。周囲のママの中でも圧倒的な支持。
発病直後ってリアリティーがない部分があって。おまけに生活の激変で辛いことをそっちのけで買い物やら動き回って新しい生活に適応しようとしていました。辛いはずなのにあまり泣くこともなく。ふと、先生に電話したくなって電話しました。先生はすでに系列の幼稚園であるペンペコの幼稚園側からの情報で知ってらっしゃいました。
先生に一言目にそう言われて、初めて人の前で泣けました。少し変わった瞬間でした。
いつも思うけど本当にM先生すごいなぁ。


<その後の入院中>


■「テンテケ君は治りますよ」
今は東京に行ってしまったクマ先生の言葉。クマ先生はよくテンテケを抱っこしてくれた。当直だけで日中は主に研究棟にいて、病棟で痛い処置をしない先生なので、テンテケも少し心を許していた。
こういうコメントはそれぞれの先生によって判断が分かれるところなのかもしれません。慎重なお医者さんや、その後に期待通りにいかない時の患者側の失望を配慮して言わない医師もいるでしょう。でも、回復を信じたい、でも不安で押しつぶされそうな患者側にとってはやはり治療に立ち向かうパワーがでてくる一言でした。




<退院後の生活で周囲の健康な家庭と比べてテンテケの育児に悩むとき>

■「こんなに(治療)がんばっているんだよ。(生活面のトレーニングは)焦らないで秋くらいからゆっくりやりましょう。」
テンテケがペンペコの後輩として入った二歳児幼稚園のM先生が春先に言ってくれた言葉。
先生は前述のとおりうちの事情をすべて知っていて。
初めて退院後に社会にでた二歳児幼稚園。急に病棟、家庭の他の世界に入り、周囲の健康な家庭や同世代の子供を目にして焦りが出ました。思うように進まないトイレトレーニング、他の子はできるブランコなど外遊びが怖くてできない。頭では分かっているつもりでしたが、改めて言われて、確かにテンテケにかかっている抗がん剤治療という重大な負荷を考えると周囲と比べて焦るべきではない。それを幼稚園の先生が言ってくれるというのがまた、安心でした。





■「体の弱い子には弱い子の、強い子には強い子なりの育て方がある」
曾祖母→祖母の言葉を、最近思い出したらしく言ってた。
昔、私の母もそんなに強くない(病気というわけではなく虚弱体質だった)兄の育児で悩んだ時に言われたらしい。
ペンペコのマイコプラズマ発症時(211.11)に気を付けているにも関わらず、周囲に先駆けてなってしまって、落ち込んでいるとき。また、テンテケの幼稚園や社会適応の機会が増えるごとにしばしば私が悩むので。

プロフィール

テンテケママ

Author:テンテケママ
東海エリアに住む主婦
写真のクマさんはテンテケ入院中の同志です。

子供たちが成長してきたため、写真など個人情報を多く含む記事は閲覧制限かけました。親しい方で、パスワードを連絡希望の方は下記のメールフォームからのパスワード照会をお願いします。

他の小児ガンの家族と情報共有するため治療関連の情報は変わらず公開しています。

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