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発病の経緯

テンテケは2008年に産まれてから全く健康でした。2010年までは。

生まれたて
生まれたて

たこ揚げ
たこ揚げ

悲劇の始まり?

悲劇の始まり、一歳半健診会場で待ち時間にふざける2人



きっかけ?は2010年4月、激混みの一歳半集団健診で、ひどい風邪をひいたときからでしょうか・・・


■2010年4月「溶血性貧血になる」
健診でもらった風邪の後、段々顔色が白っぽくなり「あれ?」と違和感を感じてから、朝、オムツに血尿がついていました。茶色いので一瞬うんち?と思ったのですが、臭いはうんちではなかった。

かかりつけを受診。診断は「溶血性貧血」。原因は様々で病態が難しい病気なのですが、血液の中の赤血球が自己抗体により破壊されてばらばらになった細かい赤血球の成分が腎臓の網をすり抜けておしっこが赤くなるというものです。赤血球が破壊されているので貧血になります。

直ちに入院治療。赤血球の輸血を一度行いました。快復して元気になりました。尿も二日くらいたつと正常に。
溶血性貧血
入院当日

原因は感染症による一過性の溶血性貧血、一ヶ月前に飲んだフロモックスという抗生剤の薬害・・・色々と小児科医が複数で議論して可能性を考えましたが結論はでず。「どれも可能性としてはあるけれど・・・△です。医学には良くあることなんです。」という説明でした。

体調が快復して1週間強で退院になりました。その後、一回受診しただけで、あとは通院しなくていいという事になり、家族で素直に喜んでいました。
院内散歩
快復して院内散歩

ただ、今にして思えば、退院前、末梢血にブラスト(芽球)が出ているので、それが完全に消えるまでは「白血病」のような血液疾患の可能性もあるので経過を観察したいということで、退院を少しのばすことになりました。なくなった赤血球を作ろうと骨髄ががんばっていたからと先生に説明を受けましたが、その過程で異常な白血球ができてしまったのかもしれません。



ただし、溶血性貧血と白血病の関連性を私たち両親は疑い、これまで出会った複数の医師に尋ねましたが、否定されています。理由はどちらの疾患も非常に稀であること、そいうった症例はみつからなかったことなどです。
1人だけ医学系研究者である主人の研究者の伝手で、小児白血病の研究をしている研究者に質問したところ関連があるかもしれないという回答がありました。
結局、白血病の原因も、溶血性貧血の原因も「わからない」と表現するのが妥当なんだと思います。


■2010年5月~7月 元気に暮らす
5月の入院からしばらくは健康状態も良く、かかりつけの勧めでHibワクチンや肺炎球菌など自費のワクチン摂取をしたりしましたが、生活自体は全く普通で。公園に行ったり買い物に行ったり、ペンペコの幼稚園行事のおつきあいに行ったり、楽しく暮らしていました。




■2010年7月27日 「白血病」発症がわかる

そして、7月末。夏休みに入りました。5月の連休は石川旅行に行く予定が、溶血性貧血で入院したのですべてキャンセル。一年ぶりの家族旅行で志摩の合歓の里に行きました。その後、私の実家の静岡帰省。

静岡にいった頃からずるずる上がったり平熱になったり、時々38度になったり一週間続く熱。あと、顔色不良で近所の小児科クリニックを受診。簡易検査で白血球二万。血小板もかなりひくく、直ちに入院が必要とのこと。その後、みるみる足の点々と細かい出血斑が増えていき、当日中にペンペコを実家に残し、新幹線で三重に帰りました。
しかし熱は微熱程度。新幹線に大喜びで前の座席の乗客とキャッキャと遊び全く元気なテンテケ。


最初、診察券もあるし五月の貧血でお世話になった総合病院に電話してから行きました。5月の担当医が末梢血を顕微鏡でみたらリンパ球だらけとのこと。おそらくリンパ性白血病だろうということでした。

私は、ペーパーナース。うっすらわかっていた病名でしたが、悪夢を信じたくないので感覚がが麻痺していました。自分の母の葬式前後に他人の前で涙を流すのを嫌った主人がそう言われて、他人であるT先生の前で泣くのを初めてみました。私より医学的知識が深い主人が泣くと言うことが何を意味するのか考えました。


治療は大学病院の小児科がしているので当日中に車で20分ほどの大学病院にパパ、私、テンテケ三人で行き、入院に。


発病直前の家族旅行
発病発覚の直前の志摩への家族旅行。
静岡の花火大会
入院前日。微熱がひいたので少しだけ花火大会を見に行くことに。


それからは、心理的に夫婦ともあまりにも混乱して私も細かいことは記憶があやしい状態。紹介状を移動中に紛失してしまったり・・・。車の中で私たちは「どうなるんだろう。」「志摩旅行ホントに久々の旅行で楽しかったよね・・・。もう行けないのかな。」「治療はきついだろうけど、また行けるようになるさ。」など会話した記憶があります。



いきなり連れてこられた初めての病院。第一印象はお世辞にも「きれい」とは言い難い、古く暗い病棟だった。これからここで治療を受けるのか・・・と滅入った。主人も一ヶ月後の外泊の時に久々に夫婦でゆっくり話す機会ができて、「最初、こんなとこでテンテケ死なせてたまるかっ。」って思ったらしい。いまではすっかり慣れましたが。

混乱している上に検査ラッシュに号泣して、そして疲れて眠ったテンテケ。
マルクの結果を見ないと詳しいタイプはわからないが、リンパ性白血病だろうと。直ちに赤血球、血小板の輸血が必要とのことで輸血が始まる。

当日はリカバリールームしか空きがなく、リカバリーで一晩過ごし、翌日個室移動になる。
リカバリーで添い寝してテンテケの寝顔をみていて泣いていたら、当日夜勤の看護師さんから家族構成などをとるため、処置室に呼ばれる。そこでゆっくりと生育歴や予防接種歴など話してこれからの治療について看護師さんから説明を受ける。

「みなさん、ともかく最初の一ヶ月がきついです。でもそれを越えたら少し楽になります。まずは一ヶ月がんばってください。」という言葉があり、その後の道しるべになりました。

ペンペコとテンテケをあわせたいということを話したら、白血球が高いときは病棟のある5階のロビーで一緒にお弁当食べたりしてますよ。1クールが終わればという話でした。



翌日だったかな・・・、B前駆細胞リンパ性白血病とのことで病棟長の医師と担当医と2人から面談室でプロトコールをコピーしたものを渡され、それに沿って治療を開始しますと説明を受ける。

入院治療 半年
外来通院治療 一年半

合計二年とのことでした。  半年入院・・・!?(ここで!?ペンペコのことどうしよう・・・)二年・・・。果てしなく遠い道のりに感じました。

この時点では、大学病院の方針なのか、どこのプロトコールなのか、どのリスク群なのかということは説明がなく、治る確率(伏せておきますが、決して低くはありません)を教えてもらいました。

「20年くらい前なら生存率が低い病気でしたが、今は飛躍的に治療成績が上がり、決して悲観することはありません。が、やはりこういった病気なので必ずしも楽観することもできません」という感じのお話を聞きました。

それと、「くれぐれもご両親が自分たちを責めることがないように。」と言われました。これはとても私にとっては重要なアドバイスでした。
あと、病棟で以前、高額なものを買わせる悪質な宗教が患者の親から親へと勧誘があったりしたので、つらい治療で患者の親同士が励まし合い生活するのは結構なことですが、そのあたりは一線をひいた方がよいというお話も。


治療に際しては感染症に付き添いである親もうがい、手洗いを励行し注意すること。しかし、風邪をひくことは必ずあるのでその際は相談して欲しいことなど注意事項も説明がありました。

これ以降の療養で欠かせない、小児慢性特定疾患の申請書も渡されました。この申請により毎月、世帯所得に応じた自己負担の限度額を超えた分の医療費は支払いが免除されました。大変助かりました。




遺伝子検査も行われるが一週間くらい時間がかかるということで、後日、結果が告げられましたが、治療に抵抗性がある染色体異常はなく、移植せず、このまま抗ガン剤のみのプロトコールの治療で経過をみることに。

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プロフィール

テンテケママ

Author:テンテケママ
東海エリアに住む主婦
写真のクマさんはテンテケ入院中の同志です。

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他の小児ガンの家族と情報共有するため治療関連の情報は変わらず公開しています。

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